写真手帖

写真作家の2人が写真を撮りながら考えたこと。

未だに写真家や作家がフィルムで撮るのは"再現性"という要素が密接に関係していることに気がついた

kikutaです。

 

 

ぼく個人的な話なのですが、

いわゆる"写真家"がいまだにフィルムで撮ることが多い傾向にあることを、ずっと疑問に感じてきました。

 

 

 

それで実際に木村伊兵衛賞の受賞者の使っている作品媒体を見てみると、デジタルカメラ全盛のいまですら、わりと最近まで未だにネガフィルムを使っている人が多数なのです。

(※木村伊兵衛賞:写真界の芥川賞などと言われ、写真界を切り開く若手が選ばれることの多い賞です。)

 

 

そしてそんな状況を否定したいわけではなく、むしろ僕自身が写真で作品づくりをするときも、フィルムを使用することが殆どなのです。

 

フィルムを使う理由について自分の中でも漠然としていて、フィルムの質感が好きというだけでは説明がつかない何かが確かにあると、言語化できないもやもやとした思いありました。🐯💭

 

 

 

そして色んな本を読んだりする中で、言葉は違えど度々出てくるとある概念に気がつきました。

それは"作品の再現性"です。

 

つまりは

どれだけ簡単にマネをしやすいかの尺度

です。

 

 

作家にとってはオリジナリティというものはとても大切です。

絵を描くのと違って、写真は結局はカメラが画を作るわけですから、例えば同じデジタルカメラで同じような設定で同じようなフィルターを使えば、似た写真が作れてまいます。

 

 

もちろんこれはあくまで写真の仕上がりの話であり、被写体・内容・プリントなどについてはマネできないものも多数あります。

でも、やっぱり写真の見た目というのはめちゃめちゃ大切なのです。

 

 

自分の作品が簡単に再現されてしまうものだとしたら唯一性は薄れ、結果的に世の中という市場での相対的な作品価値が下がっていってしまいますね。

 

 

現代はインターネット及びSNSが発達してますので、誰でもインスタグラムやtwitterなどで簡単に写真を見ることができます。

ネットで再現性の高い写真を発信していると、その作品を良いと思った人がオマージュ作品を作り始め、似た質感の写真が圧倒的なスピードて生まれてしまうわけです。

そして結局はだれがその類の作品の生みの親なのかわからなくなり、作品群の中に埋れてしまいます。

 

(これは今までのフィルム時代の写真史でも起きたことですから、悪いことと言うことはできません。ただ1人の作家としては、避けたい状況だと思います。)

 

 

 

そんな状況を避けるために強い味方になるのが、フィルムです。

フィルムというのは、化学反応に基づいたサイエンスの世界です。

撮影時の温度・空気の質・日照条件、現像時の温度・時間・溶剤の種類などの化学的環境条件・偶然的条件がフィルムおよびフィルム写真には直接的に影響します。

(フィルムはこうした化学的な面があるから、なんだか純粋な好奇心としてもやってて面白いんですよねー。毎回ワクワクドキドキです🐯⚡️)

 

 

 

 

 

つまりはこの運に任せるしかない予想のつかなさというのが"再現性"を下げるのです。

(それ故、失敗することもありますけどね..)

 

 

 

そしてそんな化学にできあがったフィルム写真というのは、世の中に発信してもなかなかマネのしようがない強いオリジナリティを持つ作品となるわけです。

だからこそ、作家と呼べる存在になれるのかもしれません。

 

 

 

ちなみに、デジタルでも作品をつくることはもちろんできますよ!

ただその場合は写真の仕上がりだけでなく、内容の再現性を圧倒的に下げる必要がでてくるため、実はフィルムで撮るよりむしろ難易度が高かったりします。

 

 

 

 

つまりは、自分だけのオリジナリティのある作品を撮るなら、フィルムの方が意外と楽かもしれませんよ!

 

 

 

 

 

というお話でした。

 

 

 

 

またね〜🐯⚡️