いいねを意識しすぎると目的を見失う
こんにちは、bayashiです。
今日はSNSでの「いいね」について、個人的な考えを書いていこうと思います。
ちょっと長いです✌️
今やインスタグラムを筆頭にカメラ、写真が流行だということは誰もが知っていると思いますが、なんで今更写真がブームなのか?ってとこですよね。
つい最近までカメラが売れない、コンデジはスマホに役目を取られた。カメラを持ち歩く時代は終わり。という状況だったのになぜ?
ツイッターが一番流行っていた時はそんなにみんな写真写真言ってなかった気がします。
インスタが流行ったのは「スマホで簡単に撮って、さらにフィルターですぐお洒落な写真を共有できる」というところです。それまで写真のイメージというと男の趣味、機材が高そう。といった壁があって女性や初心者が簡単には踏み入れにくい趣味だったかと思います。
そのため、スマホを使って簡単に共有できる体験というのは意外とありそうでなかったこともあり、当時の目新しさから急速に流行っていったのではないでしょうか。
となると、写真の楽しさを初めてここで知った人もたくさんいるわけです。インスタのユーザー数を見れば分かる通り。
そして、その人たちはやっていく内にスマホでの表現に限界が来てもっと「いいね」がもらいたい!クオリティをあげたい!という考えになるのが普通です。写真を趣味にしだす人がここでたくさん量産されます笑(いいこと)
でも、ここからが分かれ道です。
大きく分けると2パターン
①インスタに関わらず、本気で写真を趣味にしていきたい人。写真家になりたい人。
②インスタグラマーとして有名になりたい人。いいねとフォロワーがとにかく欲しい人。
2パターンとも写真を撮っていくことには変わりませんが、目的・ゴールのベクトルが違います。
特に①の人がインスタでの「いいね」を意識しすぎてしまうと危険です。
インスタは「いいねの数」=「写真が上手い人」であることはほぼ確かではありますが、ある意味見せ方次第で写真の質をフォローできてしまいます。
そうなると、やはりキレイな写真、色が鮮やかな写真はどうしても「いいね」が付きます(女性ユーザーの方が多いから?)
それを見て、「あー、いいねが多い写真はやっぱ美しいものが多いな」「自分もこーゆうの撮れば認められるのかな」「よし、撮りに行こう!」
となると...完全にインスタに流されてしまってます。せっかく写真という個性が武器になる数少ない趣味に目覚めたのにインスタに写真を合わせてしまうと自分の撮りたいもの、表現したいものを自ら殺してしまっているようなものです。もったいないです。
もちろん、キレイな写真を撮っていいです!ですが、ここで完全な物真似をし始めたら最後だと思ってます。
それはただ「インスタに撮らされてる」だけになります。少なくとも写真家を目指す人には間違った道です。
物真似を続けてる限りはどんなに頑張ってもその人を越えることができませんから。
本当の意味でファンを増やすなら、写真だけ惚れられてもあまり意味がなく、その人自身のファンが付かなければだんだん義務感でやっていく内に写真がつまらなくなってくると思います。なぜ撮ってるのかが分からなくなって終いには辞めてしまうかもしれません。
そうならないためにも、あまり「いいね」にこだわりを持たない方が写真を続けていきやすいのではないでしょうか。
インスタ初めたけど、「いいね」が付かなくて辞めました。という人も多くいるので、とてももったいないと自分は思ってしまいます。もしかしたら誰にも真似できないセンスを持っていたかもしれないのに。
と、自分に言い聞かせるついでに語ってみました笑
実際物真似自体は悪くありません。むしろ使い方によってとてもメリットになります。表現、感性を磨くためにその人の好きな部分・テクニックだけを盗んで自分なりに表現、アレンジできればそれは素晴らしいことだと思います。
最初は真似から入って最終的に自分の撮りたかった本当の表現を見つけた。
素晴らしいことです。
そうやって自分探しをしていく内に気づいたら、本当のファンも自然にできているのではないでしょうか。
「いいね」なんて勝手についてきますよ。
たぶん!笑
自分も何回も写真のスランプになったり壁にぶつかってきました。写真に悩むのがバカらしくなって全部カメラ売ってやろうと思った日もありました。でもそこで信念に誰かの猿真似をしてまで写真生活を送りたくない、自分にしか撮れないものってなんだ?という考えがあったからこうして続けてこれてるのだと思います。
ようするに、「気楽に撮ろうぜ」ってことと「いいね」に支配されると写真がつまらなくなってくるよ!ってことですね。