写真手帖

写真作家の2人が写真を撮りながら考えたこと。

川島小鳥さんの写真は追体験って言葉にちょっとしっくりきた。

 

kikutaです。

 

 

写真ってなんでしょう?

なんのためにあるんでしょう?

 

写真は自己表現ではなくあくまで記録に過ぎないってのが僕なりの1つの答えだったんですが、

それでも、そこまで機械的なものでもないような気がしていてどこか腑に落ちずにいました。

 

 

最近読んだとある本で川島小鳥さんが下記のようなことを話していました。(コピペでなく、ニュアンスです)

これめちゃくちゃしっくりきたんです。

 

 

「その髪の感じや表情は、もう決して同じことにはならないけれど、写真になっていれば観る度に、揺れる髪に感情が少し動いたことを追体験できる。」

 

 

ああこれだ!

と思いました。

自分の記憶の中のワンシーンを再生することができるんです。

しかも、それを他人の頭の中でもできる。

同じ光景を味わってもらうことができる。

 

僕が写真で見せたいのは、

 

"僕がその時感じた感情の揺らぎ"

 

の方なんです。きっと。

その時の嬉しさ、悲しさ、虚しさとかそういうものを他者に追体験してほしいんですね。

その理由は上手く言えませんが、僕が感じだ感覚そのものが僕にとって魅力的だったから、、でしょうか。

 

 

僕はモデルさんよりも、友人とか恋人とか家族とか、身の回りの大事な人を撮る方が実は好きです。

それは、写真に乗っかる感情が本物だからかもしれません。

 

 

 

 

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「写真を観るともうそのときには戻れないことも強く感じてしまうから、追体験できてうれしいのと同時にどうしようもなく哀しい部分もあるんですけど。人を撮っていると、そういうことをよく感じますね。」