写真手帖

写真作家の2人が写真を撮りながら考えたこと。

僕の抱える"タナトフォビア"と写真について

kikutaです。

 

 

最近、自粛自粛で外になかなかでられず、家で悶々と過ごす時間が増えてますね

家の中で過ごしてるとネガティブな思考に囚われがちです。

 

 

今回は僕のもつ"タナトフォビア"という厨二病感溢れる恐怖症について書いてみようと思います🐯⚡️

 

 

これ、人に話すとマジで引かれることが多いんで、だから基本的に秘密にしてます。

でも、自分が写真をライフワークにするうえで自分のこの死生観が影響を及ぼしていることに気がついたので、書いてみることにしました。

そして常々抱える恐怖のあまり、誰かに共感してほしいとすがる気持ちもあります。

 

 

タナトフォビアとは死への恐怖症です。

僕の場合は意識の消失への恐怖です。

 

 

僕は小学生くらいの頃には、この馬鹿げた恐怖症をすでに発症していました。

死んだらどうなるんだろう?

宇宙の外にはなにがあるんだろう?

僕のこの意識はなんなんだろう?

 

 

とか、キッズならではの単純な鋭さで世界を理解しようとする科学ボーイでした。

ちなみにこの頃大好きだった本が

"なぜ?どうして?"

という本で、ここに色んな科学現象について書いてあり、愛読書でした。

 

 

そんな僕に、身近な存在である"父の死"が訪れます。

あんなに元気に生きていたはずの父親が、壮絶な闘病の末亡くなりました。

そして、その亡骸を見たとき、

"父は明らかにもういない。身体そのものはまだここあるのに"

それはつまり、俺の父の意識は一体、どこに行ったんだろう?という疑問でした。

そしてこの体験は、タナトフォビアへと至る起爆剤となりました。

 

 

そんな幼少期のせいか、はたまた自分の脳みその思考回路か極端なのか、

僕は完全に"唯物論者"に育ちました。

基本的には宗教・幽霊等々、全くもって信じてません。もし実在したとしても、あくまで科学的な根拠に基づいたなにかだと思っています。

(※タナトフォビアの人はどうも唯物論者であるとことが多いようです。)

 

 

 

 

そして、ここ数年はあまり考えなくなっていました。

激務に追われ、人との関係に追われ、深く考える間がなかったためだと思います。

 

 

しかし、2019年に祖母や犬が亡くなったこと、コロナウィルスによる死者数をニュース、そしてこんな時に限ってGANTZをネットフリックスで診始めてしまったこと、そして在宅勤務で家で一人でじっとしていることで、

慢性的に"死"を意識するようになりました。

 

そして先日久々に"発作"が起こりました。

 

自分がいつか死の直前を迎えることを考えてしてしまい、その逃れようのない事実に、

あまりの恐怖に頭を抱えて唸り声をあげ、動悸と目眩がして立っていられなくなり、蹲み込んでしまいました。

 

 

"まてよ、俺はいつか消えるんだよな..?"

 

"消えたくない..消えたくない..怖い..!!"

 

"ウワーッッ!!!!"🐯⚡️

 

 

 

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下記はあくまで、僕の死生観です。

僕らはある日この世界の中に生を受けて誕生し、その瞬間からまた死に向かって、絶対不可逆の道を歩き続けています。

絶対に絶対に、いつか死を迎えて無に返ります。

 

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つまり僕らは、無と無にサンドイッチされた、実にちっぽけな"実在"なわけです。

無は永遠です。死んだらたぶん永遠に無です。

死んだらもちろん耳も目も身体も脳もありませんから、音も光も時間も感じることができません。

 

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はぁー、やっぱりどうしようもないですね、ボクは!頭が壊れてるんでしょうか。

とまぁ、そんな僕が、ズンと落ち込んだ時期にはまりこんだのが写真でした。

 

 

 

僕が写真というものに抱く、いくつかの思いを書いてみます。

 

①写真は光と時間がフィルムやセンサーに直接焼き付いた残像です。

そこには、圧縮された時間と光が保存されます。

 

②写真は無への恐怖に争う、僕の中の一つの方法なのかもしれないと思ってます。

死が無限なら、無限に等しいくらいの実在のコピーを積み重ねてやる!!!

という行為です。

 

③自分が歩いてきた生の足跡としてその瞬間瞬間を写真に残し、そこに立ち返れるような気がしてます。(例えそれが錯覚でも)

それは、時間の不可逆性に対する抵抗とも言えます。

 

④写真は一期一会をまさに体現した存在であると言えます。

その瞬間は絶対に絶対に、2度も戻ってこないのだから、保存しておこうというわけです。

 

⑤写真を撮っていて、世界は色即是空であることを実感することもあります。 

あらゆるものは所詮は微粒子(色)の集合体に過ぎず、僕が撮って写したものはただの色そのものあり、ぼくらの認識している実体(空)は写ってないということです。

 

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つまりは例えばこの花を僕らは''花''(空)として認識していますが、それって極論を言えば原子の塊であり、僕らはこの世界に実在している原子という物質(色)を見ているだけにすぎないということです。

すなわち''花''はあくまで観念にすぎず、この世界には花などという実体は存在しないということになります。

 

 

意味わからんな!

でも真剣に考えてます。

そんくらい、いつか訪れる死が怖いんですよ!

 

 

 

ちなみにこの恐怖症、何人かの有名人も発症してるようです。

 

一人目は堀江貴文さん。著者のゼロの中で明らかに、自身がタナトフォビアであることを告白しています。

死への恐怖に争う気持ちを根幹に抱き、立ち止まることなく常に自分を全力で走らせているようです。

 

あとは西川貴教さんなんかもラジオで語ったことがあるようです。

 

 

 

 

 

僕みたいな人、どのくらいいるんだろうか。

似た感覚をもつみなさん、どうやって恐怖と戦っていますか?

 

 

ちなみにどうでもいいですが映画のインター・ステラーは、僕みたいな人にはサイコーの映画でした。

だって科学的考察をもとに、非現実的な現象を描いてるんだもの!希望が湧く!!

 

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明るく考えて生きていきたいですねぇ。

やっぱり、自宅に篭るのはよくないですね。

メンタルが変になってくるし、皆さん適切に日光を浴びて健康に、新型コロナと付き合っていきましょう。