『人生の目標』という言葉から最も遠い、断片的に生きる写真人間の世界
KikutaBayashiです。
今日は僕の写真観を支える考えについて少し書き記します。
まず初めに、タイトルに記載した通り僕は『人生の目標』という言葉がすごく苦手です。
正しくは自身の考え方とは正反対のところにある考え方、しっくりこない思考といったところです。
以前も記事にしましたが僕は極端な唯物論者であり、タナトフォビア(死恐怖症)です。
そんな夢も希望もない考え方のくせに詩的なものが好きだったりもします。
- 人生の目標を考えるという大切なこと
- 僕には自分の死からの逆算などとても恐ろしくてできない
- 明日のことすらわからない。だからこそ生きてて面白いんじゃないか!
- 名も目的もない時間を生きたっていいじゃないか
人生の目標を考えるという大切なこと
スティーヴン・R・コヴィー氏の『7つの習慣』などでも述べられている有名な考え方ですが、人生の目的を決めることは大切なこととされます。
著者は、人生の終わりをできる限り具体的に、例えば自身の葬儀に参列する人物までをも思い描くことが大切だと述べています。
そしてその具体的に思い描いた形から逆算し、必要なことを考えるのだと言います。
ビジネスの世界で成功していくのであれば、非常に有効な考え方であり、人生の終わりに、やらなかった人生よりも後悔は減るのだと思います。
自分自身、一社会人として、いやでも考えざるを得ないことがありますし、会社でもいつも
''目的を明確にしろ''
''何のためかそれを行うのか考えろ''
などと口すっぱく言われます。
僕には自分の死からの逆算などとても恐ろしくてできない
人生の最終到達点、つまりは自分が死ぬ日のことを考えるとしましょう。
そもそもこれから永遠の無に向かって死にゆく瞬間を想像するだけでタナトの僕は顔面蒼白で吐きそうになるくらい恐ろしいんですが、
まぁそこは心を殺して、僕は死ぬ時に何を思うんだろう?と考えます。
まぁ仮に
あぁ僕は写真で世界を変えられて本当に幸せだったなぁ🐯
などと謎の妄想をしたとします。
そして僕が写真で世界を変えるために必要な要素を逆算していくと
・ピュリツァー賞を撮る必要はあるかも
・東京都写真美術館で個展は必須だろうな
・写真集を10冊くらいは出さんといけないな
・今時オンライン上でも有名にならなきゃ写真家とは呼べないかも
なんて条件を思いついたとして、
それをカレンダーに書いていきます。
今僕が27歳なので、仮に90歳で死ぬとすると僕は2083年に死ぬことになります。
さ、僕が死ぬ週の2083年のカレンダーを見てみることにしたのですが・・
うーん、めちゃくちゃ怖い。
自分が死ぬであろう週のカレンダーとか見たくないんですけど!
今はまだ遠いからあまり実感は湧かないけど、
確実に迫りくる瞬間までの人生の全てを、本気出せばグーグルカレンダー辺りで予定を埋めちゃうこともできるわけですもんね。自分が死ぬまでの時間を全て明かすって凄まじく怖くないですか?
今試しにやってみて記事に画像を添付してしようとしたけどなんか気がカレンダーが重くなったのでやめました。というか不吉すぎる。
明日のことすらわからない。だからこそ生きてて面白いんじゃないか!
僕はもっと言葉にしづらく、無意味(社会生活を営む人間にとっては)で泡のように発生しては人しれず消えてゆくようなものが好きです。
例えばオフィスビルの窓に一瞬通りかかった人と視線が合った一瞬であるとか、
学生の頃に好きな子へ抱いたものの伝えられないまま鎮火した好意であるとか、
誰かが電車の窓から眺めた何でもない昼下がりの街並みであるとか。
そういったものにどうしても心惹かれるし、世界はそういった断片に満ちてます。
誰かが意識さえ向ければそれらは無限に発生し、存在します。
僕はその中でもきらりと視界に映る一瞬を思い、写真を撮るのです。
そこには''人生の目的''とか成長、結果、学歴、給料、経歴とかそんなものは何の意味も為しません。
そういったものから完全に分離した世界だからこそ、誰かの拠り所になりえるのだと思っています。
名も目的もない時間を生きたっていいじゃないか
僕は一社会人でありつつ、根本的はなんでもない一瞬を重んじる写真作家です。
人生の目的とか、わかりません。
強いて言えばどうにもできないこの死の恐怖に打ち勝つことですかね?
写真は何も考えず''無意味なもの''を撮れるからこそ、好きなんです。
がんじがらめの中で生きる自分自身、
そして同じような思いをしている人たちのためにも、
僕はまた明日も無意味なものを撮りまくります📸
またね〜🐯
最後に、下記に僕の考え方に影響を及ぼした大好きな本を紹介しておきます。
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